ないまぜ日記

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長い反抗期

五十路も二年目に突入した。体力の衰えというのも実際感じる事ではあるのだが、それよりも心境の変化の方が大きい。

 

私は今まで一度も子供を欲しいと思わなかった。子供を欲しいと思う事は、ある意味利己的だと考えるくらいかなり捻くれている。なぜ子供を欲しいと思わないのか、実は深く考えないようにしていた。理由を掘り下げたくなかったからだ。今になって思うのは、子供の頃にそれほど幸せではなかった事が大きいのかもしれない。

 

貧乏で食べる事にも事欠くような事はなかったし、家族も多かった。母方、父方の親戚も多く、賑やかな家庭で育っている。甘やかされてはいなかったが愛情は注がれていた。だが、子供らしくいられたのは小学生までだった。

 

中学生になると家業の店番をさせられたのだが、姉と妹は一度も店番をさせられる事はなかった。学校帰りにスーパーに寄って買い物する事も私だけしかしなかった。母からある程度のお金を渡され、私の裁量で献立を考え、父の酒のつまみと食材を買い晩御飯のおかずを作っていた。父も母も、子供のくせに生意気な口を利く私を大人として扱ってくれた、というか、当てにしたのだと思う。人件費の掛からない働き手だ。今思うと親は打算的だったとは思うが、私は一丁前に扱われる気がしてある意味、誇らしく思っていた。

 

同居していた祖父母は兎に角、扱い難い曲者だった。父は未だに扱い難い。そんな所に嫁いで来た母に私はかなり同情していた。今でも可哀想にと思っている。そういう母に対する同情心や罪悪感みたいなものが、母の手伝いをする事を自ら望んだと思い込んでいた。

 

だが振り返ると、喜んでやっていたわけではなかったなと思う。店番をしていれば、子供相手に子供じみた事を言う大人もいたし、世知辛い事情を知ってしまう事も良くあった。そんな嫌な事を知るのは早過ぎたのだと思う。子供のくせにやけに世慣れた風な口を利く、嫌味な子供が出来上がってしまったのだ。

 

両親も私を一丁前に扱う事で私を利用したわけだが、私も一丁前に扱われる事で母から小遣いを余計にもらっていた。そのお陰で映画を見に行けたし、レコードや本を買う事も出来た。だが、如何せん子供には負担だったのだと思う。可愛げのない子供は本当に可愛くない。せめて中学生くらいまでは、子供らしく過ごせたら良かったのにと思う。私の子供時代は短過ぎたのだ。

 

小さい頃からなぜか頼られる事が多かった。幼稚園では、同い年の子が年上の子に虐められていると代わりに喧嘩を売りにいったものだ。小学生になると登校拒否傾向のあるお向かいの子を毎朝学校に連れて行く事が私の務めになった。その子の親から頼まれたからだ。今でも彼らにその事を感謝される。5歳年下の妹が迷子にならないように母から言い含められてもいた。自分はしっかりしていなければならない、なぜならしっかりしていると思われているからだ。しっかりしていると思われているから、その役割を演じなければならなかったのだ。

 

結局私は反抗期というものを経験せずに大人になってしまった。反抗期を迎える前に大人にならざるを得なかったからだ。アダルトチルドレンの事を知った時、私も多分当てはまるのだろうと思っていた。子供が欲しくなかった理由の一つは、自分と同じように子供のくせに子供らしく振る舞う事を大人に取り上げられた子供を作りたくなかったのだと気が付いた。

 

自己憐憫は程々にしたい。ただ自分で望んだ事だと思い込もうとしていただけで、実は煽てられて良い気になっていただけだったと気が付くと、我ながら可哀想な子供だったと思ってしまう。自分でその事に気が付いたのは、幸運だったと思う。勤め先にいる私の半分の年の青年を見ていると、息子がいたらこんな感じなんだろうなーと意外と楽しい気持ちになれるのは我ながら愉快だ。もしかしたら長い反抗期が終わったのかもしれない。