ないまぜ日記

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007 / NO TIME TO DIE

去年の1月に購入していた007の新作チケットがようやく日の目を見る時が来る。

何度も公開が延期されていたのだ。007はお祭り騒ぎをしてナンボの映画だ。世界中であらゆるメディアを巻き込んで宣伝しまくりながら公開に備えるのである。007というフランチャイズ化されたビジネスモデルなのだ。

 

パンデミックの世の中で、ブロッコリー女史はそういうビジネスモデルとは決別する決意をしたのかもしれぬ。いつまで待っても儲けは遠のくと思ったのか。映画館で見る客が減っても家で見てもらえばいいやと舵を切ったか。まーでも、007は映画館で見ないといけない映画の最たる作品だけどね。

 

映画館へ行くのは正直言うと遠慮したい。でも折角チケット買ったし観に行きますよ。ダニエル・クレイグの007はこれが最後だろうし。しばらく007の新作は製作できないだろうからなぁ。

 

全くこのタイトルが今の世の中にピッタリなのが皮肉だ。

 

死んでる場合じゃない!

I will survive

"I will survive" と言えば、「プリシラ」である。

ゲイ・フレンドリーな曲なわけである。日本でもヒットしてラジオでも良く流れていたので私も当然知っていた曲なのだが、歌詞の意味を良く知らなかった。「プリシラ」を見て初めて、歌詞の内容が如何にも組合員の方々に好かれそうなポジティブな内容だと知った。ヒューゴ・ウィーヴィングの夢に出そうな素晴らしさと相まって、本当にこの人達は生き抜くんだよなーと思ったものだった。何しろテレンス・スタンプに惚れ直した。

 

Amazonプライムで「ロマノフ家の末裔 〜それぞれの人生〜」を観た。第1話は面白くないわけではないがどこか軽薄な気がして、そこまで楽しめなかった。オープニングテーマがトム・ペティって。ジェリー・ブラッカイマーCSIシリーズでThe Whoの曲を使っていたのを真似したの?と聞きたくなった。そういうとこだよなぁ。軽薄っていうか柳の下のどじょう的なところが臭うなぁ。

 

などと思っていたところの第2話のラストで「I will survive 」だったのである。文字通りサバイブした後でこの曲が流れてくるのだ。直球過ぎて爆笑した。しかもCakeのバージョンで。グロリア・ゲイナーのオリジナルは如何にも70年代ディスコっぽいのだが、Cakeのバージョンはギターソロがメチャクチャカッコいい。というか、90年代後半というと殆どラジオも聞かずにいたので新しい音楽を全く聞いていなかった。このバージョンも随分経ってから聞いたのだと思う。大体、Cakeというバンドを知らなかった。

 

私は離婚してサバイブしたと思っている。

精神的な仮死状態から生き抜いたと思っている。

この曲は私のテーマ曲だったのだ!

アルビノーニのアダージョ

書き忘れていた。

マンチェスター・バイ・ザ・シー」が胸に突き刺さった原因は色々とあるのだが、音楽の力がとても強かった。俗に言われる「アルビノーニアダージョ」がここぞという時に流れてくる。

 

私にとってこの曲は向田邦子原作のドラマ「あ・うん」そのものだ。母が好きで子供の頃に見たのだが、ドラマだけではなく向田邦子のものは短編やエッセイなど活字になったものも10代後半から20代にかけて良く読んでいた。特にエッセイにはかなり影響を受けている。「あ・うん」はVHSしか発売されていなかったのだが、DVDが発売されている事が分かり中古で安く購入した。NHKのDVDはなぜこうも高いんだ。

 

この曲はNHKのドラマ人間模様枠で放送されたドラマで「あ・うん」以外でも使われた記憶があるのだが、なんだったのか思い出せない。深町幸男演出だったんだろうなぁ。

 

向田さんが飛行機墜落事故で急死した為、「あ・うん」は続編で永遠に止まってしまった。気が散ってちょっと余所見をしていたら、そっちが本筋になってしまったような。向田さんらしいのかもしれない。

 

衣食住に筋の通った好みがあり、仕事も第一線で認められ独身ひとり暮らし、猫好き。時代の先端を走っていた人だ。憧れる女性も多い。私も大いに憧れた。だが私は結婚してしまった上に離婚した。初志貫徹できなかった(笑)。初心に帰ろう!

割り切った

結局、割り切った。契約は更新して、そのまま仕事を継続する事にした。なんとかなるだろう。そうおも、、、思いたい。

 

割り切れない間にAmazonプライムで何本か映画を見たのだが、よりによってどん底に凹んでいた時に見てしまったのが「マンチェスター・バイ・ザ・シー」だった。


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見事な“Abandoned puppy face” である。

この手の顔に弱いのは自覚しているが、ちょっと卑怯なくらいお見事。

途中で見るのを止めたいくらいだった。ケイシー・アフレックってこんなに上手い人だったっけ? そこはかとなく全身から溢れ出す絶望感が痛々しく、凹んでる時に見るもんじゃない感が半端なかった。

 

何があったからそれほど絶望してるのか分かった時の居た堪れなさ。誰にでもあるほんのちょっとの不用心さで、誰もを不幸にする責任。犯した罪の重さで踏み潰され背負いきれない罪悪感を抱えながら、刑事罰には問われないという優しさが残酷だ。刑事罰を全うする事もできない。物理的には一切何も償えない。

 

重かった。本当に重かった。こっちが死にたくなるわというくらい重かった。だが、最後にほんの少し、希望を持たせてくれた。このまま終わっていたらトラウマになりそうだった。

 

余りにも辛かったので、もうちょっと救われる話が見たくなった。

「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」がAmazonプライムにあるなんて!

はいはい、見ましたとも。これもなかなかに重たいお話ではありますが。ただエミリー・ブラウニングのちょっと天使が入ってるキリキリと切ないあの歌声。永遠のロリータだなぁ、彼女は。サントラを持っていなかったので、サクッとダウンロードした。

 

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ああああ、グラスゴーにまた行きたい!

割り切る

連休の予定は何もなかった。
とにかく、何もなかった。
あるのは、勤務先の人とのリモート飲み会のみ。

あと二日も休みがあるが、数ヶ月もかかって未だに編み上がらないセーターも放置したまま。

何も予定がないので、部屋の片付けをするつもりだった。それなのに在宅勤務でとっ散らかったテーブルの片付けもしていない。辛うじて冬物の下着とセーターと毛布は洗濯して片付けた。着なくなった服を処分してクローゼットを片付けるつもりだったが、結局それもやっていない。食器棚も片付けるつもりだったが、それもやっていない。

兎に角、何しろ、何もかも、やる気がこれっぽっちもまるで起きない。

連休直前に起きた勤務先の緊急事態が怒涛の展開で、心身共に疲れきってしまった。毎日、誰かと電話して「聞いた? どうすんの? これからどうなんの?」と、不毛な会話に終始して、仕事はまるで手に付かずだった。極め付けに、連休前が期限だった仕事は根本からひっくり返るくらいの大どんでん返しを食らってしまい、期限があるからなんとか持ちこたえていたモチベーションがすっかり消えてしまった。泣きっ面に蜂も良いところだった。連休前には対応できないという事で先方には伝えたのだが、だからといって連休明けになってもきっとやる気など湧いてこない。

務め始めてすぐから感じていた勤務先の問題は、一番最悪な形で表面化した。そうならなければ良いなぁ、と心配していた通りになってしまった。その問題が表面化するまで、私は知ってはいたが黙っているほかなく、何も出来ず、ただ気に病むだけだった。久しぶりにストレスで胃が痛くなった。

私は社員でもなんでもない。が、いつも一緒に仕事をしている人からも上司からも、なぜか色々聞いてしまう。そんな話、聞きたくないんだけど、という話を聞かされる。ある意味、外部の人間だから話しやすいというのもあるのだろう。だが、聞かされる方はたまらない。聞いてしまったばかりに、心配する事ばかり増える。

前職では、もう無理!と割り切ってきっぱり辞めた。だが今回は首を突っ込み過ぎた。表面化する前から色々と話を聞いてしまっていたせいで、責任を感じてしまう。そんな責任など私にはまるでないのにもかかわらず。流石にここまで深刻な状況だと上司も相当に堪えたようで、私ですら励まし役に回った。私だって不安なんだよ、こっちが励ましてもらいたいわ!と思いつつ。

今後、どうなるのか本当にさっぱり分からない。ただでさえコロナ禍で不安や焦燥感を感じているのに、もうやってられないと匙を投げたい。だが、そうするには躊躇する理由があり過ぎる。共犯者扱いされたくはないし、敵前逃亡と言われたくもない。今の勤め先の時給はそれなりに良い。同じ時給をもらうには、私が避けている職場環境にならざるを得ないかもしれない。だとしたら、銭の為に割り切って働くか、という気持ちにまでなんとか持っていった(苦笑)。

次回の契約更新の件もあるので、どうするか早々に決めなければならないのだが、まだ割り切れていない。「天空の城ラピュタ」を見ても元気が出ないなんて、よっぽど私は沈んでいるのだな。。。この鬱々とした気分を切り替えるには誰か目の保養が必要だ。選んだのは「Dear フランキー」のジェラルド・バトラー。この映画のジェリーさんが一番好きだ。どこまでも女子の理想像である。ほぼ少女漫画の乗りだ。丘の上の王子様系である。いやでももうちょっと、分かりやすいハッピーエンディングの方が良い気がする。そんな時にはやはりミスター・ダーシーにお出まし頂くしかない。いやでもかえって虚しくなるか。。。

はぁぁぁ。
溜息しか出てこない。
よっぽど私は凹んでいる。

長い反抗期

五十路も二年目に突入した。体力の衰えというのも実際感じる事ではあるのだが、それよりも心境の変化の方が大きい。

 

私は今まで一度も子供を欲しいと思わなかった。子供を欲しいと思う事は、ある意味利己的だと考えるくらいかなり捻くれている。なぜ子供を欲しいと思わないのか、実は深く考えないようにしていた。理由を掘り下げたくなかったからだ。今になって思うのは、子供の頃にそれほど幸せではなかった事が大きいのかもしれない。

 

貧乏で食べる事にも事欠くような事はなかったし、家族も多かった。母方、父方の親戚も多く、賑やかな家庭で育っている。甘やかされてはいなかったが愛情は注がれていた。だが、子供らしくいられたのは小学生までだった。

 

中学生になると家業の店番をさせられたのだが、姉と妹は一度も店番をさせられる事はなかった。学校帰りにスーパーに寄って買い物する事も私だけしかしなかった。母からある程度のお金を渡され、私の裁量で献立を考え、父の酒のつまみと食材を買い晩御飯のおかずを作っていた。父も母も、子供のくせに生意気な口を利く私を大人として扱ってくれた、というか、当てにしたのだと思う。人件費の掛からない働き手だ。今思うと親は打算的だったとは思うが、私は一丁前に扱われる気がしてある意味、誇らしく思っていた。

 

同居していた祖父母は兎に角、扱い難い曲者だった。父は未だに扱い難い。そんな所に嫁いで来た母に私はかなり同情していた。今でも可哀想にと思っている。そういう母に対する同情心や罪悪感みたいなものが、母の手伝いをする事を自ら望んだと思い込んでいた。

 

だが振り返ると、喜んでやっていたわけではなかったなと思う。店番をしていれば、子供相手に子供じみた事を言う大人もいたし、世知辛い事情を知ってしまう事も良くあった。そんな嫌な事を知るのは早過ぎたのだと思う。子供のくせにやけに世慣れた風な口を利く、嫌味な子供が出来上がってしまったのだ。

 

両親も私を一丁前に扱う事で私を利用したわけだが、私も一丁前に扱われる事で母から小遣いを余計にもらっていた。そのお陰で映画を見に行けたし、レコードや本を買う事も出来た。だが、如何せん子供には負担だったのだと思う。可愛げのない子供は本当に可愛くない。せめて中学生くらいまでは、子供らしく過ごせたら良かったのにと思う。私の子供時代は短過ぎたのだ。

 

小さい頃からなぜか頼られる事が多かった。幼稚園では、同い年の子が年上の子に虐められていると代わりに喧嘩を売りにいったものだ。小学生になると登校拒否傾向のあるお向かいの子を毎朝学校に連れて行く事が私の務めになった。その子の親から頼まれたからだ。今でも彼らにその事を感謝される。5歳年下の妹が迷子にならないように母から言い含められてもいた。自分はしっかりしていなければならない、なぜならしっかりしていると思われているからだ。しっかりしていると思われているから、その役割を演じなければならなかったのだ。

 

結局私は反抗期というものを経験せずに大人になってしまった。反抗期を迎える前に大人にならざるを得なかったからだ。アダルトチルドレンの事を知った時、私も多分当てはまるのだろうと思っていた。子供が欲しくなかった理由の一つは、自分と同じように子供のくせに子供らしく振る舞う事を大人に取り上げられた子供を作りたくなかったのだと気が付いた。

 

自己憐憫は程々にしたい。ただ自分で望んだ事だと思い込もうとしていただけで、実は煽てられて良い気になっていただけだったと気が付くと、我ながら可哀想な子供だったと思ってしまう。自分でその事に気が付いたのは、幸運だったと思う。勤め先にいる私の半分の年の青年を見ていると、息子がいたらこんな感じなんだろうなーと意外と楽しい気持ちになれるのは我ながら愉快だ。もしかしたら長い反抗期が終わったのかもしれない。

桜と誘導用標示とチョコレート

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去年の9月に今の勤務先に務め始めた時から、目黒川沿いの桜を見る事を楽しみにしていた。コロナ禍が早々に収束するとは思っていなかったが、これほど先の見えない展開は、予想内ではあるものの、予想が外れてくれれば良かったのにと思わずにいられない。

緊急事態宣言が解除されてから、週の半分は出勤しているのだが、出勤する度に花の数が増えていく。基本、在宅勤務で仕事するはずが、数人で進めている仕事の期限が迫っていて、オンラインでのやり取りだとイライラしてきた為に、ちょくちょく出勤することになった。公共交通機関に乗るのは正直なところ遠慮したいが、オンラインでの仕事のやり取りに辟易していた事もあって、出勤するのは気分転換にはなっている。数人で会議室にこもってみっちり仕事するのも、集中できるのでたまには良いな、と思う。

朝と夜、川沿いの桜を撮った。この様子だと、満開になっても花の数はそれほど多くなさそうだ。木の状態が良いのだろうか、モコモコと花が咲く木があるが、そうではないらしい。街路樹だからそこまで手入れをされていないはずだ。それでもやはり、桜が咲くと気分が良い。桜の時期が誕生日なのもあるだろう。

夜桜を撮って自宅の最寄駅に着くと視覚障害者の若い男性とエスカレータで前後になった。本当に器用に歩いていく。すごいなぁ。どれくらいの訓練をしたのだろう。エレベーターで一緒に乗り、人の乗り降りがあるので出口まで一緒に付いていった。爽やかにありがとうございます。とお礼を言われて、いやなんか良い人になれた気がしてこっちが有難うと言いたい!と思いつつ駅から出た。すると東南アジア系の若い女性に声をかけられた。道を聞かれるのって久しぶりだなーーーー、と思っていたら、そうではなかった。漢字が書ける留学生仲間が書いてくれたのだろうか、ちょっとたどたどしい字で書いたカードを「これを読んでください。」と言いながら見せてくれた。

資金繰りに苦労しているフィリピンからの留学生だった。チョコレートを売って生活費を稼ぐ、ということらしい。そのチョコは誰かの支援であって欲しい。彼女は八王子に住んでいるそうだ。ここは新宿だぞ! 帰りの電車賃はあるのかい?と心配になってしまった。彼女に少しばかりのお金を渡して「気をつけて帰ってね。」と声をかけて帰宅した。

どれくらいの時間、あそこに立っていたのだろう。声をかけるのも勇気がいるはずだ。
仕事で疲れても、良い人になれた気がして少し気分が良くなっていたが、最後に強烈に切なくなった。

桜と誘導用標示とチョコレート。
来年また桜が咲くと、この三つをひっくるめて思い出し、強烈に切なくなるのだろう。