ないまぜ日記

映画、海外ドラマ、音楽、その他諸々、ないまぜ日記

エストニア、フィンランド旅行記 その3

2019年6月8日(土)
タリン 一日目 夜


微妙な坂道に建つホテルだった。ホテルの玄関というより集合住宅の入り口の様で、うちに帰ってくるような親しみを感じるホテルだった。ホテル建物の一番奥にあるシングルルームはダブルベッドに部屋が占領されるくらいの広さだった。それでもベッド以外にスーツケースを開く床の面積はあったので、特に不自由はなかった。窓はヨーロッパに良くある二重窓。木のサッシのガラス窓は断熱効果と遮音効果がある。この窓にはブラインドが付いていて、内側にカーテンも付いていた。それでも朝4時から部屋が明るい。遮光カーテンではないので光が入ってくるのだ。

f:id:bs313:20190628214826j:plain

私が泊まった部屋のすぐ横に小さなテラスがあって、中庭のレストランに降りていける様になっていた。この密集感。隣のうちの窓に手が届く感じ。何かを連想させると思っていたら古い古いフランス映画「巴里の屋根の下(1930年)」だった。

www.youtube.com


到着した夜は疲れていたものの、荷解きした服などをクローゼットに仕舞ったり、シャワーを浴びて下着を手洗いしていたらあっという間に12時を回っていた。遅くまでホテルのレストランが賑やかだったのも関係なく気絶するようにベッドに倒れこんで寝ていた。


2019年6月9日(日)
タリン 二日目

朝方4時半に目が覚めてしまったのだが、iPhoneを充電していなかった事に気がついて充電ケーブルを接続したら、また気絶していた。気が付いたら9時過ぎだった。

この日は11:30にKGB博物館の予約をしていた。もっと早い時間が良かったのだがガイド付きでないと見学できず、ガイド付き見学は英語とエストニア語のシフトが組まれている。英語ガイドは11:30が一番早い時間だった。KGB博物館へ行く前にホテル周辺をブラブラするはずだったのだが、あまり時間がなくなってしまった。

ホテルは朝食がもれなく付いてくるのでお得だと思う。しかも美味しい。黒パンが美味い。バターが美味い。コーヒーはアメリカンな薄い味ではなく、しっかり焙煎したパンチの効いたコーヒーだった。はー、コーヒー飲みたかったよー。時差ボケの頭にカツが入る。サラダもあるしスクランブルエッグがトロトロで美味しかった。ヨーロッパのホテルでは朝食に野菜がまるで食べられない場合があるので、サラダがあるのは有難い。

朝からガッツリ食べて満腹にしていざ出発。ホテルの近所をぶらぶらしながら写真を撮っていたら、カメラのSDカードがまさかのメモリー不足。新しいカードを持ってくるつもりだったのに忘れていた。だいたいいつも、何か忘れる。

タリンは13世紀後半からドイツのハンザ同盟が 街の発展に大きく影響したようで、その影響か建物がドイツっぽい。荷揚げ用のクレーンのある建物があちこちにある。クレーンと言っても現代の物とは違って、水平方向には動かせず垂直方向のみだ。


こちらは胡椒屋だったらしい。きっと大金持ちだったはずだ。

鍋みたいなこの看板は何屋さんだったのか?


修道院醸造したワインを出すお店か?


ペストが流行した時代に使われていた医者のマスクが不気味
なんだ、2014年開店だよ


KGB博物館があるソコス・ホテルはショッピングモールが併設されている。そこなら電気屋くらいあるだろうと見当を付けて、旧市街からヴィル門を抜けて新市街へと移動。新市街は道路が広くバスや路面電車が走っている。とはいえ、ヴィル門の向かい側には小ぢんまりしたタムサーレ公園がある。小さいながらも初夏のヨーロッパの清々しさを満喫できる。もうすぐ夏至のこの時期、陽が真上から降り注ぐ。

前日までの雨で埃はすっかり流されて、空気が澄み緑が鮮やかになっていたのかもしれない。木漏れ日の美しさに思わず溜息が出た。長閑さにつられて深呼吸になる。そういえば6月にヨーロッパへ来たのは初めてだ。バラやライラックの香りがして、これ以上ない健やかなる空気。木陰で昼寝したい。まだ午前中だけど。




そうだ、SDカードを買わなきゃいけなかったと思い出し、公園の散歩も程々にショッピングモールへ入った。ショッピングモールはどこでも似たようなものだ。地下にスーパーを見つけたので後で寄る事にして電気屋でSDカードを無事に購入。価格は日本と同じくらいか。丁度いい時間になったのでソコス・ホテルへ向かう。ショッピングモールはホテルと直結していたので便利だ。KGB博物館は事前に予約が出来るのだが、当日でも人数に余裕があれば参加できる。タリンに行ったらここは必ず行った方が良い。

つい28年前まで実際に使われていたKGBの情報収集と送信の拠点だ。フィンランドからタリンへ届いた情報をソコス・ホテルの通信機器でダイレクトにモスクワへ送っていたそうだ。モスクワとの直通電話も当然あった。通信室はホテルの24階にある。しかしエレベーターは22階までしかない。23階はない。電気設備で全て埋まっているらしい。配線だけでもすごい事になっているのだと思う。24階へは階段で登るしかない。22階は監視対象の人物を宿泊させる為に設計された監視機器がてんこ盛りの部屋がある。

1991年12月にソ連が崩壊し、タリンの通信施設はKGBが持ち去った機器もあるようだが、破壊されて遺棄されたものが残っている。但し主電源は未だに生きていた。電源が入ったことを知らせる赤いランプが未だに点灯するのである。ゾッとした。


ガイドさん曰く

今でもモスクワに聞かれてるかもしれませんから、変な事は言えませんよ。


洒落になってない(爆笑)。この男性ガイドさんが素晴らしかった。話の内容が全部分かれば良いのだが、そこまでの英語力がないのが残念だ。博物館内部は写真が撮れなかった。しかし、旅行口コミサイトには写真がたくさん載っている・・・。

ゴルバチョフペレストロイカグラスノスチを推し進めた時代、タリンにもその波が押し寄せた。タリン市民にも意見を募り、記帳する為の赤いノート、通称レッドブックが設けられた。しかし誰一人共産党に物申す者はなかった。なぜなら、そんな事して連行されたらたまったもんじゃないからだ。エストニア人は誰もモスクワを信用しなかった。ほんの小さなエストニア国旗を持っているだけでも、逮捕され5年はぶち込まれたそうである。それほどソ連はロシア化を強要しエストニア人としての自覚を潰そうとしていたのだ。

そういう歴史の一齣をガイドさんが色々と話してくれた。しかも黒い冗談を散りばめながら、今だから笑い話にできるが、ソ連統治下では口にも出せない事だ。自由を得た今はKGBを小馬鹿にして観光客の笑いもとれる。

灰皿やコーヒーカップのソーサーに盗聴マイクが仕込まれているものを見せてくれた。監視対象の部屋の配線図を見ると、あちこちくまなく盗聴マイクと発信機とアンテナが設置されている。クローゼットのバーの内部がアンテナになっているのは面白かった。アンテナの位置としては非常に有効な上に見つかり難い。もしこの部屋でラジオでも付けたら、いたるところでハウリングが起きそうだ。

キューバ危機当時にモスクワからタリン市民へガスマスクが配布されたそうだ。しかし、そのガスマスクではガスどころか、花粉すら防げない代物だった。ガスマスクなのに密閉性がまるでないのである。ガイドさんが吐き捨てるように言った時の顔が忘れられない。

Totally useless !


見学者の中に1989年にタリンに滞在していたという女性がいた。彼女はフィンランド人だと思うのだが、この年の8月に独立運動としての「人間の鎖」を経験した人だったのかもしれない。この年の12月にベルリンの壁が崩壊する。ベルリンの壁が崩れた時、ニュースを見て目が釘付けになった。歴史が動いた瞬間を目の当たりにしている実感があった。彼女が「1989年に私はタリンにいました!」と言った顔は私がベルリンのチェックポイントチャーリーに行った時と同じ顔のような気がした。


ホテルの24階からはタリンの街が一望出来る。
ソ連時代は正に監視塔そのものだったのだ。

f:id:bs313:20190628212435j:plain

f:id:bs313:20190628212436j:plain

f:id:bs313:20190628212556j:plain