ないまぜ日記

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祖父の足跡 移動編

【国内線】

到着した日、ホテルに着いたのは午後10時半だった。翌日は早朝の国内線で首都から地方への移動だった為、必要最小限の物をスーツケースから出し、それまで着ていた服を詰め、お風呂に入ってベッドに入ったのは12時を回っていた。機内でもかなり眠ってはいたものの、時差が4時間あるので眠気は最高潮に達していた。明日の朝は5時半起きだ。

この国の保安検査はしつこい。国内線の空港でも空港の敷地内に入る所でまず荷物検査、そして建物内に入る時にまた検査があった。国内線なので液体物などの検査はなかったものの、毎回パスポートを提出しバッグもX線にかけられ、人は金属探知機を通過させられる。日本では成田空港に入る時にパスポートチェックが一時期行われていたが、今ではそれもなくなっている。平和ボケしている日本人からすると、あまりの厳重さに辟易してしまう。抑止力という点では荷物検査は非常に有効だと分かってはいてもだ。

ホテルの朝食は7時からだったので間に合わず、ガイドさんがホテルに頼んでパンとヨーグルトを用意してくれていた。国内線専用の空港でそれを食べたのだが、スプーンが入っていなかった。仕方がないのでパンにヨーグルトを付けて食べた。気が効くのか効かないのかよく分からない(笑)。国内線の飛行場はとても小さく、搭乗する時も機体まで歩いて向かう。この日の気温はマイナス8℃でタラップには凍結防止のナトリウムが撒かれていた。機体はIl-114! ソ連時代から続くイリューシン設計局が開発したプロペラ機だった。ここで俄然、気分が上がる。旧ソ連的な機体、しかもプロペラ機という滅多にお目にかかれない機体に搭乗できる事でかなり感動してしまった。

席の上部に荷物棚はあるものの、機内持込サイズのスーツケースでも乗降扉付近に置くようにアテンダントに指示された。座席は背もたれが固定されず大柄な人だとかなり後ろに倒れてしまっていた。20年近く経った機体だと思うのだが、背もたれに付いているテーブルの固定に使われているビスの頭がマイナスだったのだ。日本ではマイナスのビスはもう滅多に見ない。

さすがにプロペラ機だと飛行時間は意外と長く1時間40分だったが、定刻通りに離着陸で順調だ。再び凍ったタラップで機体から降り歩いて到着口へ向かった。首都より全然寒く気温はマイナス13℃。雲ひとつない晴天なのだが実に寒かった。空港からは車で移動しひとつ目の世界遺産の街へ向かった。



【車】

私が乗った車は2台共韓国製の大宇だった。バスは日本のいすゞが多かったが、乗用車はシボレーが非常に多かった。シボレーの工場が国内に出来たことで価格が安く近年の普及につながっているそうだ。忘れてならないのは今にも止まりそうな旧東ドイツトラバント。かなりの割合で走っていた。

で3時間ほど移動する機会が二度あったのだが、地方都市間を結ぶアジアハイウェイは舗装が古くなっている部分が多くてかなり揺れた。NHKで放送していたドキュメンタリー「アジアハイウェイ」にも登場した道路だったと思う。揺れるのでウトウトはするのだが熟睡などは出来ない道路だ。しかも景色が延々と変わらない。高速道路脇にはガソリンスタンドと天然ガスやプロパンガスのスタンドが点在していた。天然ガスが産出されるのでガソリン車と共にガス車が多く走っているらしい。
このガソリンスタンドでトイレ休憩になったのだが、意外にもトイレが清潔。扉には鍵も付いており、洋便器もあり、水もきちんと流せる上、トイレットペーパーが旧共産圏にありがちな藁半紙のような紙ではなく柔らかいものが置いてあった。手洗器もちゃんと水が出て手を洗えた。日本人の多くが立ち寄るガソリンスタンドなのかもしれない(笑)。

州境には検問所があり、私が乗った車は観光客が乗っていると分かるからか一旦停車しただけで何事もなく通過出来た。しかし、トラックやバン等、他の車はいかつい検問所の軍人が中を覗き込んで調べていた。国境付近では日本の外務省が渡航レベル3に指定する地域もあるので検問は必要な事なのだろうが、平和ボケした日本人には馴染みのない物騒な光景だった。

マイナス13℃でも車の中は暖房で暖かく、コートを脱いでも寒くない。しかし、足元はシンシンと冷える為、脱いだコートで膝から下を覆うのを忘れてはならなかった。とにかく、ひと月も早い寒波で予想以上の寒さだった。祖父の収容所があったのは隣国で更に気温が下がる地域だったようなのだが、よくまー小豆アイスを食べたものだと感心した。



【電車】

旅の五日目、地方都市から首都へ向かう特急電車に乗った。この日は昨夜からの雪でかなりの積雪があり、定刻より電車が遅れていた。私が乗ったのは最新式の電車ではなかったので車両や座席は随分とくたびれた感じだったのだが、暖房が効いて暖かいのが何よりだった。スピードも普段より遅かったようで首都への到着時刻は定刻よりも1時間ほど遅れていた。車内にテレビが置いてあり大音量で流れていたので眠ろうとしても寝付けなかったのだが、何やら国内で製作されたTVドラマも放送されていたようで熱心に見ながら大笑いする人が後ろの席にいて需要はあるらしい。番組の途中で大統領選挙の候補者のビデオも流れていたので、そういえば大統領選挙中だったなと思い出した。こちらへ到着するまでは選挙の為に不都合があるかもしれないと少し心配していたのだが、着いてみればなんてことはなかった。空港や駅の保安検査も普段通りで選挙中だから特別厳重というわけではなかった。というか、あれ以上厳重にする事は出来ないほど普段から厳重だ。

トイレが使用中かどうかのサインが何もないので、鍵がかかっているのか分からず何度もドアノブをガタガタやってしまった。実はその時おじいさんが使用中だったのだ。トイレのあるデッキで電話をしていた人が中に入ってるよ、と教えてくれて初めて分かったのだった。トイレはなんと開放式だった。そのため、トイレ内部はものすごく寒い。用を足した後に水は流せるが、垂れ流しに変わりはない。何しろ外は氷点下の気温だ。用を足す為に便座に座ると凍える風がお尻に容赦なく吹き付けてきた。まさに凍ケツである。こんなおやぢギャグが頭に浮かぶほど寒かったのだ。しかも風が強くて水を流そうとすると風圧で水が逆流して水しぶきが飛んで焦りまくった。

出発駅に着いてからガイドさんが携帯電話をホテルに忘れたようです、と言うので焦ったのだが、忘れたのはガイドさんの方だった(笑)。タクシーの運転手さんが携帯電話を持ってホテルから駅まで来てくれる事になったらしいのだが・・・。ガイドさんの同僚が別のツアーのガイドとして私と同じ列車に乗る予定だったから助かった。ガイドさんは駅の待合所で彼女と何やら話して、私には「この人に付いて行ってください!」と言うのだ。「彼女に着いて行くのは良いけど、あなたはどうするの? 携帯が間に合わなかったら私は駅であなたを待つの?」と聞く前に列車が到着したので慌ててホームへ移動した。電車に乗り込むタラップは奥行きがない上に凍り付いていたので、見るからにおっかない。なんとかよじ登って座席に着いた。すると列車が動き出す直前にガイドさんが乗り込んできた。結局、携帯電話は間に合わなかったものの、幸いにも後で届けてくれる人が見つかったので大丈夫ですよ、と。このガイドさん、日本語も上手だし、朗らかで楽しい青年なのだが、どこか良いとこの坊々風で大丈夫かなと思わせたのだ。旅行中に一度寝坊してロビーでの待ち合わせに20分くらい遅れてきた事もあった。ちょうど奥さんが出産の為に入院したばかりで、今日産まれるか明日かで、夜の間ずーっと家族と電話して眠っていなかったらしい。そういう状況なら仕方ないかとは思ったのだが、自分でもしっかりしてなきゃまずいなとも思ったのだった(笑)。