ないまぜ日記

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戦後70年

今年は太平洋戦争終結から70年という区切りの良い年ということもあり、昨日の終戦記念日には様々な行事やTVの特集番組で溢れていた。スカパーでも戦争映画の放送が多く否が応でも気になるわけである。

二人の祖父は太平洋戦争で出征し終戦後は二人とも捕虜になり復員するまでに時間が掛かった事は知っているのだが、詳しい事はまるで知らない。父方の祖父の事は祖父が長年使っていた鏡の裏書きから多少の事は分かっている。その鏡は上官からの贈り物だったらしく祖父は大切に使っていたのだ。その鏡の裏に贈り主である司政長官の名前と共に自分が配属された部隊や階級を祖父が書き残していた。この裏書きの事を家族の誰も知らなかった。祖父が亡くなった後、その鏡を父が自分の部屋で使おうと思って納戸から出してきて初めて気がついたのである。祖父が亡くなってから5年は経っていたはずだ。

何かと言うと祖父が「スマトラ!」と言っていたのを覚えている。耳にタコと言っても良い。終戦までのスマトラでの生活は祖父にとって楽しい思い出だったのかもしれない。終戦と共に天国から地獄へと叩き落とされたのだと思うのだが、終戦までは南国で意外とのんびり生活していた可能性もある。南十字星を眺めながら句を捻った事もあったかもしれない。

長い間気になっていた祖父の戦時中の様子を知りたいと思い、インターネットで調べていると有用な情報を得た。インターネット恐るべし。どうやら孫であれば必要な書類さえ揃えればお役所で軍歴照会が出来る事が分かった。恩給を申請する為の記録を軍歴証明書という形で発行できるそうだ。証明書でなくても軍歴資料をコピーしてくれるらしい。陸軍であれば基本的には本籍のある都道府県、海軍は厚生労働省だそうだ。父方の祖父は軍人ではなく陸軍の軍属だったのだが文官ではなかったので厚生労働省ではなく本籍のあった都道府県が管轄のはずだ。母方の祖父については満州に出兵しシベリアで抑留されていたので関東軍なのは確かだ。

実家へ帰省する前、軍歴照会の申請をする為に必要な書類が何かを調べ、帰省した折に市役所へ取りに行った。調べる時に初めて改正原戸籍や除籍全部事項証明書など聞きなれない証明書がどういうものなのかを知ったのだ。非常に分かり難くて参ったが収穫は多い。必要なのは祖父の死亡を確認できる証明書と私と祖父が3親等以内である事が証明できる証明書だった。改正原戸籍と除籍謄本だけで良かったのだが、どうせならと思い「祖父の系統で遡れるだけ遡ってください。」と役所でお願いしてみた。結果、父方の祖父が生前作っていた私の高祖父の名前まで遡る事ができる証明書が手に入った。恐らく父方の祖父も私と同じように遡れるだけ遡ってくださいと言って戸籍を調べてもらったのだろう。

父が偶然見つけた父の従兄弟についても多少分かった事がある。墓標には昭和20年4月20日戦死とあったが、戸籍には戦死の報告があったのは8月29日に佐世保海軍人事部長からである旨の記載があった。終戦後に戦死の報告があったわけだ。非常に気になっているので父の従兄弟の軍歴照会をしようかと思ったのだが、3親等以内でなければ申請できず残念ながら諦めた。

母方の祖父については叔母に軍歴照会をしたい旨を話してみた。従姉妹がお盆休みで帰省していたのだが、従姉妹もやはり祖父の戦時中の事について気になっていたようだ。結局、従姉妹に必要な改正原戸籍を取りに役所へ行ってもらった。母方の祖父についても戸籍を遡れるだけ遡って証明書を発行してもらったそうで、叔母が保管しておくと言っていた。母方の祖父はかなり生い立ちが複雑である。それこそ横溝正史の世界のように腹違いの兄弟、血の繋がらない兄弟、父違いの兄弟がたくさんいた。何が何やら分からない生い立ちである。色々と辛い記憶があった為なのか、子供の頃についての話は母や叔母も殆ど聞いた事がないようだ。何通もある戸籍のうち母方の祖父の死亡が確認できる改正原戸籍を郵送で送ってもらう事になった。

父方の祖父の本籍があった県のホームページで軍歴照会に関するものを探してみたが見つからず、恩給に関する業務を担当する部署にメールをしてみた。まだ返信はないが、軍歴証明書の発行を郵送で取り寄せられるかどうかは分かると思う。母方の祖父については県のホームページに軍歴資料の交付に関する記載があり交付依頼書もダウンロードでき、必要な書類さえ揃えば申請は郵送で簡単に出来る事が分かった。

改正原戸籍や除籍謄本は昭和初期のものだったのだが、非常に読み辛い。くずし字や略字、はたまた癖字、更にかすれていたり滲んでいたり。拡大コピーしてなんとか読める部分もあるのだが、くずし字は素養がないとまるで読めない。読解力の低い私が読める部分は少ないが、古い戸籍からは知らなかった事が色々と分かる。
祖父(父方)の兄が長男で祖父が次男だと思っていたが、実は次男と四男だった。戸籍に載っていない長男と三男は死産だったのかもしれない。高祖母の生まれたのが天保11年(1840年)だと分かったのも何やら気の遠くなるような話だ。

戦後70年と聞くと遠い昔だと考えてしまう。しかし戦中に生まれた両親は当然ながら70歳を超えている。歴史というとたいそう立派な偉人たちが登場する大袈裟な物語で自分とは縁遠い気がするが、私が生まれる130年前に生まれた人も血の繋がった高祖母だと思うと決して遠いものではなく身近に感じられてくるから不思議である。