ないまぜ日記

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魂または霊

祖父の一人称は儂だった。儂が儂が!と自己主張のとことん強い人だった。ハイジャックが頻発していた1970年代に祖父はいつも「ハイジャックに遭遇したい。儂がハイジャック機に乗っていたら犯人を取り押さえてやる!」と豪語していた。私もなんとなく祖父がそんな事を言っていたのを覚えている。父は「あーいう奴が一等最初に殺されるんだ。」と小馬鹿にしていた・・・。祖父の闇雲な根拠のない自信と見当違いな正義感が良く現れた逸話である。

去年の7月、母が入院したのに合わせて帰省した時の事である。

実家に着いて荷物を置きに仏間の襖を開けて仏壇が目に入った。何やら気になった。何かいつもと違うと。何が違うのかよくよく眺めてみると、位牌の位置がいつもと違ったのだ。いつもより随分と前に迫り出していた。位牌は仏壇の中ではなくて地袋の方に出している事もあるのだが、その時は地袋から殆ど落ちてしまうくらいに置いてあった。その位牌を見て「じいちゃん、死んでからも自己主張が激しいなー(笑)。」と思ったのだった。

そこでふと思った。

あれ?なんでじいちゃんて分かるんだっけ?

祖父の戒名を私は覚えていない。ちゃんと読めば男女の違いで祖父か祖母の戒名だと分かるが一見しては分からない。それなのに祖父の位牌だと分かったのは俗名だったからだ。しかし位牌は戒名の方が表だ。なぜ俗名の方が表を向いていたのか不思議になった。母にその事を聞いてみると「それがね!」と言い始めた。あー、こりゃ長い話になりそうだなと身構えたのは言うまでもない。

実家では墓を持たず遺骨は地域の納骨堂に納めている。地域の納骨堂なので持ち回りで草刈りなどをする事になっているのだが、去年の7月に草刈り当番が回ってきたらしい。納骨堂の敷地内に数は少ないがお墓もある。しかし墓参りに行っても実家や親戚の所をお参りしたらさっさと帰ってしまうのでお墓を眺める事もなかった。父が草刈りをしながら普段行かない場所に行くと自分と同じ苗字が彫ってあるお墓に目が止まったらしい。墓の主は終戦の年に21歳で亡くなった水兵長だった。これまで40年くらいその納骨堂に通っていたのにそのお墓を知らなかったのだ。

自分と同じ苗字である人が気になった父は母にその墓の事を話し、母はスマホで写真を撮ったのだそうだ。うちに帰ってから祖父が作っていた家系図で確かめてみようと思いついたらしい。ところが、うちに帰ってみると仏壇の様子が何かおかしい。位牌がいつもより随分と前に迫り出していて、妙な事に祖父の俗名の方が表になっていたそうだ。不思議に思いながら仏壇の奥の方から家系図を出して眺めてみると、墓の主の名前があった。その人は父の従兄弟だった。

祖父は祖父の兄(父の伯父)とは戦前から疎遠になっていたそうだ。戦中に祖父が出征した後、空襲が激しくなった大阪から祖母と父が地元に帰ってきてからも祖父の本家とは殆ど付き合いがなかったそうだ。その為、父は自分の親戚の事に関して無関心だ。せっかく祖父が作った家系図にも無関心でじっくり見る事がなかったらしい。父よりも母の方が祖父から親戚の話を聞いてよっぽど詳しいくらいだ。しかし疎遠だった祖父の兄の息子(父の従兄弟)の事は母も聞いた事がなかったらしく、父は名前どころか存在すら知らなかったのだ。

いつもは素通りする墓に父が目を止めたのは、祖父が自分の甥の存在を父に教える為にした事なのだろうか。祖父が何やら言いたげなのを伝えるために母に位牌を動かせたのだろうか。死んでも自己主張が激しいのだろうか(笑)。それは魂なのか霊なのか、何か分からないがいずれにしろ「たま」と呼ぶものかもしれない。魂合うと呼ぶものなのだろうか。

位牌が俗名でなかったら、私もそれが祖父だとは気がつかなかったし、そもそも、位牌が普段よりもずっと前に迫り出していなかったら位牌の文字が気になる事もなかったのだ。普段、仏壇の掃除をするのは母だ。位牌の位置を変えたのも俗名を表にしたのも母にはまるで記憶がないらしいが、母が無意識にした事なのだろう。父が納骨堂で普段は足を向けない所で同じ苗字の墓を見つけたのも偶然にすぎないのだが、祖父が仕向けた事に思えてくる。祖父が「儂が儂が!」と仏壇からしゃしゃり出て来たように思えるのだ。父が存在すら知らなかった従兄弟を祖父が教えてやろうと思ったのはなぜなのか考えると不思議で仕方がない。

去年お盆に納骨堂へ墓参りへ行き、戦後69年にして父も初めて知った父の従兄弟の墓に私も手を合わせた。目に見えないものの存在を感じさせる、何やら郷愁を感じさせる出来事でもあった。今日から実家に数日帰省する。お参りするところがひとつ増えたのはなぜか嬉しい。