ないまぜ日記

映画、海外ドラマ、音楽、その他諸々、ないまぜ日記

Anna Karenina

成田からドバイへ戻る機内で鑑賞。日本語吹替えがある事に1時間以上経ってから気が付いたものの、最初から見直すのに嫌気が差して最後まで英語字幕で強硬突破したので消化不良です。情熱的で破滅的なのに、違う意味で生産性がある愛っていうのは、見ていて本当に疲れました。どっと疲れてその後、爆睡できたので有り難かった。ありがとう、キーラちゃん。

泣く子も黙るトルストイです。トルストイにしてもドストエフスキーにしても、どうしてロシア文学というのはなんでもかんでも本が分厚くできてんでしょうかねぇ。文庫本でも分厚くて重いし上中下巻あって長いしもー、どうにかしてちょうだい。って、読む本を重さで選んでいるのかい。とかなんとか偉そうに書いておきながら「アンナ・カレーニナ」の原作は読んだ事がない。映画化されたものは何本か見ていて話の流れは知っていました。グレタ・ガルボ(トーキーの方)にヴィヴィアン・リーソフィー・マルソー。やっぱりグレタ・ガルボが一番印象に残っている。汽車に飛び込む時のガルボの美しさは尋常じゃなかったよ。

ジョー・ライト監督作でマシュー・マクファディンキーラ・ナイトレイと共演するとなると、ヴロンスキーはマシューかと思いました(笑)。マシュー、相も変わらず良い声でうっとり。ケリー・マクドナルドは泣き顔が子供みたいで可愛いしやっぱり好きだわー。スコットランド訛りは封印されていたから残念でした。帝政ロシアスコットランド訛りは似合わないから仕方ない。ヴロンスキーは世間知らずの坊々でなきゃいけないのでアーロン・ジョンソンで良かったんでしょうけど、アーロン・ジョンソンって「キック・アス」じゃん!と、途中で気が付きました。それに気が付いたら可笑しくて可笑しくて笑いが込み上げて仕方なかった・・・。ルース・ウィルソン演じるお姫さんが不気味で良かったなー。別の銀河で生息しているような浮世離れした生き物という感じで。主役のキーラは・・・。この人どうして時代劇が多いのか良く分かりません。非常に現代的なのに、どうしてなのだろう。

この作品、舞台の場面転換を利用して物語をすっ飛ばして行きます。舞台劇としての場面なのか、それとも映画的な絵作りなのか、慣れるまでこのシーンはどっち???と混乱するのも確かです。古典の極致にある作品を斬新な切り口で描きたい野望があったのでしょう。舞台に慣れた英国俳優がゾロゾロ登場するので、慣れてしまえばこっちのもんで、舞台装置が動いて行くのに合わせて物語もスイスイ流れて色んな方向に転がって行くのを見るのは楽しかった。そこまですっ飛ばすかよと突っ込めたりもしました。どうせなら全てのシーンを舞台にして統一すれば良かったのに。

不倫した挙げ句に自殺した女と田舎で素朴な生活に幸せを見いだした女を対比させてましたが、原作でもこういう説教臭い描き方なのでしょうか。物語の流れだけ追うとメロドラマだからなぁ。お一人様だとか婚活だとか、勝ち組や負け組だとか、なんだか嫌な言葉が世間で使われますけれども、この映画を見ると実直な青年と田舎で素朴な暮らしをする事を礼賛してるようにも取れました。実際にはある程度の都市生活を送った人が田舎暮らしに満足して幸せになれるってなかなか少ないと思うのです。田舎暮らしに憧れても都市生活の便利さは捨て難いものだ。ドバイに住んでいるとお金をたくさん使って虚飾に満ちた生活でないと我慢できない人達をよく見かけますが、お金は使ってこそ意味があるモノだと思う。お金は使い方次第だ。お金の使い方は人それぞれ違うので、ある人にとって当然の事でも別の人から見たら無駄としか思えなかったり狂気の沙汰としか思えない事もある。

衣装はこれでアカデミー賞を受賞したわけですが、帝政ロシアの重厚さが感じられなかったなぁ。キーラが着るから現代的に見えるのか。あ、音楽は好きです。お気に入りダリオ・マリアネッリですから手放しで褒める。強烈に感傷的でロシア的なメロディは大好き。そして、ワルツを踊るシーンで腕の動きが華麗過ぎて面食らいました。

とまー、中途半端にしか見てない割に文句ばっかり書いてしまった・・・。