ないまぜ日記

映画、海外ドラマ、音楽、その他諸々、ないまぜ日記

エストニア、フィンランド旅行記 その6

2019年6月10日(月)

タリン三日目(中編)

潜水艦レンビット号を見た後はもう一つの海洋博物館へ行くつもりだった。バスに乗って撮った写真を確かめていたら、やけにシャッタースピードが遅い写真だったり真っ暗だったり。カメラの設定を絞り優先にしているつもりが、プログラムオートになっていたのだった・・・。カメラ下手くそなのに薄暗い博物館内でシャッタースピードが遅いと手振れが酷すぎる。興奮してて全然気が付いてなかった。老眼で良く見えてないのもあるなー。というか、撮っている間に写真をモニターで確認すれば良いだけだよ・・・。よっぽど舞い上がっていたらしい。

自分の写真の腕にがっかりして降りるつもりのバス停で降りるのを忘れてしまい、気が付いたらヴィル門まで戻って来ていた。太っちょマルガレータを見に行くつもりだったのだが、とっくに通り過ぎていた。とは言え、タリンの旧市街は小ぢんまりしているし途中に見たいところもたくさんあるし、ヴィル門から太っちょマルガレータがある海洋博物館へ歩いて向かう事にした。

明日はヘルシンキへ向かうので、買いたい物は今日のうちに買っておかないとまずい。ホテルのチェックアウトが11時までの為、出かける前にチェックアウトしてホテルで荷物を預かってもらう予定なのだ。チェックアウト後に何か買ったらスーツケースをまた開けるのも大変だ。嵩張る物や重たい物は今日のうちに買っておかねばならない!

旧市街にはとにかくお土産屋がたくさんある。エストニアの工芸品のお店の地下にニッターさんのアトリエがあった。そのアトリエで私が欲しい物にやっと会えた!




Design Riina Tomberg

私の手の甲は分厚いが指は短い。同じデザインの小さい方を試着させてもらうと、全然入らない。ちっきりと編み込まれている為、横には意外と伸びない。大きい方は指がちょっと長めだが甲はぴったりだった。迷う事なく買ってしまう! 複雑な模様の編み込みの手袋が€48だった。え? 良いの? もっと高くて良いんじゃないの?と思う金額だった。
色が分かりにくいのだが、黒、白、青のエストニア国旗の3色が使われている。この色の手袋が欲しかったんだよー。他にも欲しい物が目白押しで、カーディガンを買うかどうか迷ったのだが結局は我慢した。今頃になって買えば良かったと後悔中。

このお店の1階でヘラジカの透し彫りのバターナイフを購入。もう5年くらい前か、東京で確か恵比寿だったと思うのだが、道端でエストニアの物産品を売っているお店と遭遇した。もしかしたらリトアニアラトビアだったかもしれない(笑)。その時にヘラジカの透し彫りのバターナイフを気に入って買ったのだ。そしてタリンでは至る所にネズの木で作ったカトラリーが売られていた。もうとにかく、お土産屋には必ずある。今では私が持っていた物より透し彫りが進化している。より繊細な彫りが出来るようになっているではないか。

左が6月に買ったもの。右は5年程前に買ったもの。
ナイフは形が使いやすくなっている。




ヘラジカのバターナイフは気に入ってずっと使っているので、かなり色が付いている。ネズの木で作ったカトラリーはヘルシンキでもお土産屋には必ず置いてあるようだ。バルト海沿岸のお土産として定着しているのかもしれない。

既にこの時は3時近くになっていた。お土産屋にはつい長居してしまう。方向を考えずにぶらぶらしていて、旧市街を囲っている城壁からちょっと離れてしまった。このまま海洋博物館へ向かった方が近いものの、ヘッレマン塔に行く為には少し戻る事になる。そこから旧市街の外壁に沿って歩いて行く事にした。

エストニア、フィンランド旅行記 その5

2019年6月10日(月)

タリン三日目(前編)

 

タリン・カードを事前に購入していたので、かなりお得に観光出来た。トラムもバスも乗り放題。良くある観光用カードには空港と市内の往復は含まれないというのがあるが、タリン・カードは空港から市内への移動にも使える。空港と市内が近いのでタクシーでもそれほど高くない。QRコードが付いているタリン・カードは印刷して持って行ける為、カードを受け取る必要もない。至極便利だ。

 

トラムの場合、運転席近くにしかQRコードを読み込めるカードリーダーがない。車内で切符を買う場合もこれで買えるのだと思う。他の乗降口にあるのはICチップカード専用のカードリーダーでカメラが付いておらず、アプリで購入できるQRチケットもやはり運転席近くのカードリーダーでしか読み込めなかった。1日目は空港からホテルに行くだけなのでタリン・カードは使わず、€1のシングルチケットを空港の券売機で購入した。タリン・カードは二日目の午後から使う事にした。二日目の午前中はホテルから歩いて行けるKGB博物館へ行くのでタリン・カードは必要ない(KGB博物館のチケットはタリン・カードには含まれない)。公共交通機関に乗った時点でカードが有効化されるので、必要最小限の有効時間のカードを購入し最大限に使う事を考えた。博物館や美術館など旧市街にある観光地は殆どがこのカードで賄える。私のような博物館好きには大変有難いカードだった。

 

三日目は朝から飛行艇埠頭博物館へバスで向かった。殆ど小学生の遠足並みに張り切って出かけた。

最寄りのバス停から歩いてすぐで、バルト海が目の前に広がっている。張り切り過ぎて、まだ開館してなかった。

 

バルト海

ほんとに来た!

嬉しい!!!

 

バルト海と澄み渡る碧空

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MARU号と言う名の哨戒艇

マル号、マル丸、マルマル

バルト海に来てまで駄洒落かよ!

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この船は内部も見学できる。

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博物館内にはMARU Cafe もある。MARUをグーグル先生に聞いてみるとペストと出た。「黒死病カフェ」だと誰も行かないからきっと別の意味だ。グーグル先生はエストニア語が苦手らしい。

エストニア語はウラル語族で、フィンランド語やハンガリー語と近い言語らしい。ゲルマン系やラテン系の言葉だと推測できる単語が意外とあるのだが、エストニア語とフィンランド語にはまるでなかった。エストニア語の母音には「ä」の様に、点が二つ付いていたりする。まるで指輪物語だ。

 

これに会いたかった!

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魚雷と添い寝できるベッドは起き上がると頭をぶつけるので起き上がれない。ベッドから降りる時は回転しながらしかない。なにやらミレニアム・ファルコンっぽいので嬉しくなった。
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ハッチかっけー
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潜望鏡かっけー
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エンジンかっけー

ほぼ「かっけー」しか言ってない
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辛うじてある生活感

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大き過ぎて横には写真に収まらない
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博物館の建物自体かっけー
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面白くてくまなくジロジロ見ていた為、気が付いたら2時間以上もレンビット号の中にいた。その割に意外と写真を撮っていない。いや待てよ、十分か。殆ど「かっけー!」しか言葉を発していなかった気がする。一昨日までの暑さのせいで建物内部は気温が高かった。冷房設備はないだろうから、暑い日は外気を取り入れ換気するしかない。この日は涼しくなっていたが、建物自体が蓄熱していると外気を入れたくらいじゃ気温は下がりにくい。潜水艦内部は更に暑く、汗だくになっていた。興奮していたせいかもしれない。単に更年期障害のホットフラッシュだった可能性もあるか。

 

黒死病カフェで休憩するつもりだったのだが、やはり朝ごはんをガッツリ食べていてお腹が減らず。トイレに行ってミュージアムショップをちらっと覗くだけにした。

ミュージアム・ショップといえば、グラスゴーのリバーサイド博物館を思い出す。ミュージアム・ショップでは私の知らないザ・スミスの曲が流れていた。この声は確かにモリッシーだし、このギターはジョニー・マーだなーと思って店員の青年に聞いてみたら「そーだよ! この曲はなんちゃらなんちゃらのアルバムのなんちゃらなんちゃらって曲。スミス好きなの?」とちょっと意外そうに教えてくれた。キッツいグラスゴー訛りで殆どなんと言ってるのか聞き取れず、曲名は未だに不明(笑)。そのキッツいグラスウィージャンを聞いていて「あ!バラ-ティクだ! グアヴィアン・デス・ギャングそっくり!」だと気が付いた。この青年が俳優のブライアン・ヴァーネルにそっくりだったのだ。同郷だし親戚かもしれない(笑)。

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Han Solo. You're a dead man.

 

話が逸れた。

 

博物館のトイレで印象的だったのは手洗い用水栓だ。蛇口に水栓もレバーもなく自動水洗かと思い手を近付けても水が出ない。あれ?と思って足元を見ると

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この黒いボタンを足で踏むと水が出る。これ、プラハだっけ、こんなのどっかであったなーと思っていると、隣のおばちゃんも水が出なくて困っていた。ドヤ顔で教えたのは言うまでもない。ボタンのプレートの取付位置が微妙に平行でないのもご愛嬌。

 

名前の通り飛行艇の展示もあるし、他にも体験できる展示物がたくさんあって、退屈しようもない非常に充実した博物館だった。紙飛行機を作ってどれくらいの距離を真っ直ぐ飛ばせるかという体験コーナーがあった。折り方の説明も展示してあったが、違う折り方で作って飛ばしたら出来が良くて随分飛んだ。それを見た男の子が私の紙飛行機を拾いに走って行き、私に猛進してきて何やら必死に言い始めた。折り方を知りたいのだろうなと思って教えてあげると真剣な顔になった。角をきちっと揃えて折る事を教え、少年が慎重に丁寧に折って出来上がった紙飛行機は、さっき少年が折ったものより長い距離を飛んだ。

 

 

 

エストニア、フィンランド旅行記 その4

2019年6月9日(日)

タリン 二日目 午後

 

タリンは景気が良いらしい。

あちこちで工事していた。

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KGB博物館では、バルト海に面しロシアと国境を接しているエストニアの歴史に憂いを感じつつ、Qが007に渡してそうなインクが飛び出すガマ口小銭入れにワクワクした。こういう場所が残っている事をロシアはどう思っているのか?などと考えてしまう。クリミア半島がロシアに実効支配されているからには、エストニアだって何が起きるか分かったもんじゃない!と思わずにはいられなかった。

 

そんな小難しい事を考えていると頭痛がするので、ショッピングモールの地下にあったスーパーへ買い物に向かう。

 

海外に行くと必ずスーパーへ行く。その土地の人が何を食べているか知りたければスーパーが一番分かりやすい。お土産用のチョコレートもお土産店で買うより安いし、お土産用に過剰包装してないものが買える。

 

エストニアでは買いたいものが色々あった。その中の一つが蜂蜜だ。パッケージにはエストニア語しか書いてないのでまるで分からない。ガラス瓶だと重いのでプラスチック製の容器に入っているものを探していたら、あった! ラベルには熊の絵が描かれているタッパーみたいな容器に入った蜂蜜があった。帰国してから食べてみたところ、なんだこの味、ちょっと揮発性の香りがする。発酵してきたのだろうか・・・。あれ?でもプロポリスってこんな味ではなかったか?

 

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ということで、ラベルの文字をグーグル先生に聞いてみた。

 

まずは単語毎にグーグル先生へお伺い

mesi : 蜂蜜

taruvaiguga :  プロポリス

jõumees : 養蜂家

aare : 宝

mesilast : 蜂

 

プロポリスだよねー、やっぱり!

ちょっと癖のある味。

 

次に全部つなげてみたら

mesi taruvaiguga jõumees aare mesilast

ハニービーハニービー

 

どれとどれを繋げたら「ハニービーの二乗」なのか? エストニア語の不思議。というかグーグル先生の限界か? いつもブログを読んでくださるhobbiton さんに笑ってもらえたらそれで良い!

 

ja oled tugev kui karu! 

そしてあなたはクマとして強いです!

 

プロポリス入りの蜂蜜を食べたら熊みたいに頑丈になれるらしい。実に面白い蜂蜜を買ってきてしまった(笑)。

 

タリンで売っていた水は相当に硬くて、エヴィアンなんかよりもっと硬かった気がする。かなり味がするのであまり好きではなかった。というより、私はエヴィアンを飲むとお腹の調子が悪くなるのだが、果たしてタリンで飲んでいた水もやはりお腹の調子を狂わせた。ミネラルウォーターではない、ネスレやコカコーラが販売しているドリンキングウォーターを探したのだが見つけられず。タリン滞在中は常にお腹がゴロゴロしていた。

 

スーパーでは蜂蜜以外にもエストニアのチョコレートをいくつか買い、お土産用と自分で食べる分にベリーがゴロゴロ入ったホワイトチョコレートを買ってみた。血糖値が上がりやすいので、普段は甘いものを禁欲的というよりも拷問的に我慢しているのだが、旅行中はかなり歩くし疲れるから!という免罪符を自分で与えている。ベリーのホワイトチョコ、すげー美味かった。ケチらずにもっと買えば良かったよ。しかも写真を撮っていない。

 

スーパーを出た時は既に午後2時を回っていたのだが、朝ご飯をガッツリ食べていたのでお腹が空かない。お昼ご飯はやめて一旦ホテルに荷物を置きに戻り、ちょっと休憩してからタリン中央駅近くにあるマーケットへトラムで向かう。歩いても行ける距離なのだが、旅行前から腰痛が出ていたのもあって石畳と微妙な坂道がやけに堪えていた。

 

この日はKGB博物館へ行く前にヴィル門近くにある、通称「セーターの壁」をちらっと覗いたのだが、お土産用の機械編みのセーターに靴下、帽子、手袋などのお店しかなく、正直ガッカリした。手編みの物はなかなかお目にかかれないというのを実感した。

中央駅の近くにあるマーケット、Balti Jaama Turgにもお土産店があって、お土産品質の機械編みの靴下や帽子が売られていた。リトアニアラトビア産なのか?と思われるリネンのランチョンマットなども、お土産品質の物とそうでない物を見極める必要がある。観光地化すると、こういうお土産品質の物が大量に出回るのは良いのか悪いのか。私はイヤゲモノは要らないな。

 

マーケットにはイートインスペースがある。

ブルーベリーを買ってつまみながら休憩中。

カモメ、目が鋭いぞ!

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文句言いつつも、マーケットはやはり見ているだけで楽しい。マーケットにはアンティークショップがいくつかあった。中には「写真を撮るならまず買ってから!」という警告文を掲げている厳格なお店もあった。別のお店でエストニアがまだソ連の構成国だった時代のA5サイズくらいの写真集と絵葉書を買ったお店でのこと。当然、ソ連時代の物を売っているお店ばかりなので気が付けば良かったのだが、ちょっと微妙な空気になってしまった。

エストニア語で覚えたのは「ありがとう」を意味する「アイタ」のみ。とりあえず、アイタ!アイタ!と連発していた。お店の人も「あら、エストニア語知ってるじゃない!」と喜んでくれる人ばかりだった。しかし、アンティークショップで支払いを済ませて得意になって「アイタ!」と言うと、お店のおじさんの表情が曇った。私がなにを言ったか一瞬分からなかったがエストニア語でお礼を言ったのか、あーそうか、と腑に落ちたように私には見えた。しかしそこに笑顔はなかった。きっとおじさんはロシア人なのだろう。

 

私が思うに、アンティークショップのオーナーはロシア人が多いのかもしれない。実際、隣のアンティークショップにはロシア人のばあちゃん二人が店番していた。客に対してニコリともしない。口角を1mmすら上げない。営業スマイルなどこの世に存在しないソ連の人だ。ばあちゃん達はきっとロシア人だ。

 

旅行していると楽しいことばかりではない。アジア人だと明らかに見下される事もある。滅多にないがゼロではない。そして、私が中国人や韓国人ではなく日本人だと分かると急に態度が軟化する事もある。これが現実だ。ちょっとやるせなくなるものの、旅行の醍醐味でもあると思う。大袈裟に言うと、他所者の第三者の視点で社会を見る、世界を見る、ようなところが大いにある。

 

小難しい事を考えると頭痛がするので、モフモフのウールのルームシューズを格安で買って気分転換。5時過ぎでもう腰が限界でホテルへ戻る事にした。トラムに乗ってホテルの近所まで戻り、ヴィル門から旧市街へ入ると、また石畳だ。腰に響くよねー。

 

疲れ過ぎてホテルから出たくなかったので、晩御飯はホテルのレストランで食べた。スライスしたカボチャとチーズのサラダ、それにキノコてんこ盛りパスタ。どちらも洗練されていて非常に美味い! レストランが評判だという口コミのホテルだったのだが、評判になるはずだ。

 

早々にシャワーを浴びて10時には高鼾で眠ってしまった。

 

エストニア、フィンランド旅行記 その3

2019年6月8日(土)
タリン 一日目 夜


微妙な坂道に建つホテルだった。ホテルの玄関というより集合住宅の入り口の様で、うちに帰ってくるような親しみを感じるホテルだった。ホテル建物の一番奥にあるシングルルームはダブルベッドに部屋が占領されるくらいの広さだった。それでもベッド以外にスーツケースを開く床の面積はあったので、特に不自由はなかった。窓はヨーロッパに良くある二重窓。木のサッシのガラス窓は断熱効果と遮音効果がある。この窓にはブラインドが付いていて、内側にカーテンも付いていた。それでも朝4時から部屋が明るい。遮光カーテンではないので光が入ってくるのだ。

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私が泊まった部屋のすぐ横に小さなテラスがあって、中庭のレストランに降りていける様になっていた。この密集感。隣のうちの窓に手が届く感じ。何かを連想させると思っていたら古い古いフランス映画「巴里の屋根の下(1930年)」だった。

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到着した夜は疲れていたものの、荷解きした服などをクローゼットに仕舞ったり、シャワーを浴びて下着を手洗いしていたらあっという間に12時を回っていた。遅くまでホテルのレストランが賑やかだったのも関係なく気絶するようにベッドに倒れこんで寝ていた。


2019年6月9日(日)
タリン 二日目

朝方4時半に目が覚めてしまったのだが、iPhoneを充電していなかった事に気がついて充電ケーブルを接続したら、また気絶していた。気が付いたら9時過ぎだった。

この日は11:30にKGB博物館の予約をしていた。もっと早い時間が良かったのだがガイド付きでないと見学できず、ガイド付き見学は英語とエストニア語のシフトが組まれている。英語ガイドは11:30が一番早い時間だった。KGB博物館へ行く前にホテル周辺をブラブラするはずだったのだが、あまり時間がなくなってしまった。

ホテルは朝食がもれなく付いてくるのでお得だと思う。しかも美味しい。黒パンが美味い。バターが美味い。コーヒーはアメリカンな薄い味ではなく、しっかり焙煎したパンチの効いたコーヒーだった。はー、コーヒー飲みたかったよー。時差ボケの頭にカツが入る。サラダもあるしスクランブルエッグがトロトロで美味しかった。ヨーロッパのホテルでは朝食に野菜がまるで食べられない場合があるので、サラダがあるのは有難い。

朝からガッツリ食べて満腹にしていざ出発。ホテルの近所をぶらぶらしながら写真を撮っていたら、カメラのSDカードがまさかのメモリー不足。新しいカードを持ってくるつもりだったのに忘れていた。だいたいいつも、何か忘れる。

タリンは13世紀後半からドイツのハンザ同盟が 街の発展に大きく影響したようで、その影響か建物がドイツっぽい。荷揚げ用のクレーンのある建物があちこちにある。クレーンと言っても現代の物とは違って、水平方向には動かせず垂直方向のみだ。


こちらは胡椒屋だったらしい。きっと大金持ちだったはずだ。

鍋みたいなこの看板は何屋さんだったのか?


修道院醸造したワインを出すお店か?


ペストが流行した時代に使われていた医者のマスクが不気味
なんだ、2014年開店だよ


KGB博物館があるソコス・ホテルはショッピングモールが併設されている。そこなら電気屋くらいあるだろうと見当を付けて、旧市街からヴィル門を抜けて新市街へと移動。新市街は道路が広くバスや路面電車が走っている。とはいえ、ヴィル門の向かい側には小ぢんまりしたタムサーレ公園がある。小さいながらも初夏のヨーロッパの清々しさを満喫できる。もうすぐ夏至のこの時期、陽が真上から降り注ぐ。

前日までの雨で埃はすっかり流されて、空気が澄み緑が鮮やかになっていたのかもしれない。木漏れ日の美しさに思わず溜息が出た。長閑さにつられて深呼吸になる。そういえば6月にヨーロッパへ来たのは初めてだ。バラやライラックの香りがして、これ以上ない健やかなる空気。木陰で昼寝したい。まだ午前中だけど。




そうだ、SDカードを買わなきゃいけなかったと思い出し、公園の散歩も程々にショッピングモールへ入った。ショッピングモールはどこでも似たようなものだ。地下にスーパーを見つけたので後で寄る事にして電気屋でSDカードを無事に購入。価格は日本と同じくらいか。丁度いい時間になったのでソコス・ホテルへ向かう。ショッピングモールはホテルと直結していたので便利だ。KGB博物館は事前に予約が出来るのだが、当日でも人数に余裕があれば参加できる。タリンに行ったらここは必ず行った方が良い。

つい28年前まで実際に使われていたKGBの情報収集と送信の拠点だ。フィンランドからタリンへ届いた情報をソコス・ホテルの通信機器でダイレクトにモスクワへ送っていたそうだ。モスクワとの直通電話も当然あった。通信室はホテルの24階にある。しかしエレベーターは22階までしかない。23階はない。電気設備で全て埋まっているらしい。配線だけでもすごい事になっているのだと思う。24階へは階段で登るしかない。22階は監視対象の人物を宿泊させる為に設計された監視機器がてんこ盛りの部屋がある。

1991年12月にソ連が崩壊し、タリンの通信施設はKGBが持ち去った機器もあるようだが、破壊されて遺棄されたものが残っている。但し主電源は未だに生きていた。電源が入ったことを知らせる赤いランプが未だに点灯するのである。ゾッとした。


ガイドさん曰く

今でもモスクワに聞かれてるかもしれませんから、変な事は言えませんよ。


洒落になってない(爆笑)。この男性ガイドさんが素晴らしかった。話の内容が全部分かれば良いのだが、そこまでの英語力がないのが残念だ。博物館内部は写真が撮れなかった。しかし、旅行口コミサイトには写真がたくさん載っている・・・。

ゴルバチョフペレストロイカグラスノスチを推し進めた時代、タリンにもその波が押し寄せた。タリン市民にも意見を募り、記帳する為の赤いノート、通称レッドブックが設けられた。しかし誰一人共産党に物申す者はなかった。なぜなら、そんな事して連行されたらたまったもんじゃないからだ。エストニア人は誰もモスクワを信用しなかった。ほんの小さなエストニア国旗を持っているだけでも、逮捕され5年はぶち込まれたそうである。それほどソ連はロシア化を強要しエストニア人としての自覚を潰そうとしていたのだ。

そういう歴史の一齣をガイドさんが色々と話してくれた。しかも黒い冗談を散りばめながら、今だから笑い話にできるが、ソ連統治下では口にも出せない事だ。自由を得た今はKGBを小馬鹿にして観光客の笑いもとれる。

灰皿やコーヒーカップのソーサーに盗聴マイクが仕込まれているものを見せてくれた。監視対象の部屋の配線図を見ると、あちこちくまなく盗聴マイクと発信機とアンテナが設置されている。クローゼットのバーの内部がアンテナになっているのは面白かった。アンテナの位置としては非常に有効な上に見つかり難い。もしこの部屋でラジオでも付けたら、いたるところでハウリングが起きそうだ。

キューバ危機当時にモスクワからタリン市民へガスマスクが配布されたそうだ。しかし、そのガスマスクではガスどころか、花粉すら防げない代物だった。ガスマスクなのに密閉性がまるでないのである。ガイドさんが吐き捨てるように言った時の顔が忘れられない。

Totally useless !


見学者の中に1989年にタリンに滞在していたという女性がいた。彼女はフィンランド人だと思うのだが、この年の8月に独立運動としての「人間の鎖」を経験した人だったのかもしれない。この年の12月にベルリンの壁が崩壊する。ベルリンの壁が崩れた時、ニュースを見て目が釘付けになった。歴史が動いた瞬間を目の当たりにしている実感があった。彼女が「1989年に私はタリンにいました!」と言った顔は私がベルリンのチェックポイントチャーリーに行った時と同じ顔のような気がした。


ホテルの24階からはタリンの街が一望出来る。
ソ連時代は正に監視塔そのものだったのだ。

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エストニア、フィンランド旅行記 その2

2019年6月8日(土)
ヘルシンキ・ヴァンター空港に到着

日本からエストニアへの直行便はない。しかし、タリンへ行くまでヘルシンキ乗り継ぎ一度で行ける。しかもヘルシンキからタリンまであっという間だ。近い。意外と近いぞ。
ヘルシンキは日本から一番近いヨーロッパという謳い文句がある。確かにヘルシンキから成田への便は10時間かからない。すごい。近いよ。本当に驚いた。往きも10時間半で到着した。ヨーロッパへ行くならヘルシンキ乗り継ぎは実に都合が良いのだと思った。フィンエアーが日本人に人気なわけだ。

ヘルシンキ・ヴァンター空港からの離陸
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ヘルシンキ・ヴァンター空港には日本人がうじゃうじゃいた。兎に角、日本人はマリメッコの袋を持っている。出張中なのかスーツ姿の男性もマリメッコの袋を持っている。きっと、家族や同僚からマリメッコ買って来い!のミッションを受けているのだろう。数名の男性がマリメッコ前でたむろしていた。その一人が「赤い大きなバッグがないんだよ。赤いのじゃないとダメなんだよなぁ。」と困惑していた。買っていかないとご夫人に怒られるんだろうか。ミッション・インポッシブル。

今回はJALの特典航空券でヘルシンキまで乗り、タリンへはフィンエアー(運行はNoRRA)に乗り継いだ。成田でスーツケースをスルーチェックインにしてもらったし、同じターミナル2での乗継なので余裕だと思っていた。が、ターミナル2が広い。つか、長い。いくら近いとはいえ長時間のフライトの後だ。浮腫んだ足と痛む背中、機内持込のバッグもやけに重い。タリン便はプロペラ機で機体まではバス移動なので、端から端まで延々とターミナルを歩いてグッタリしてしまった。ターミナル内にはカフェもたくさんあるのだが、フィンランドは物価が高い。カフェラテ一杯で700円。

そんなグッタリ疲れた乗継だが、タリンへのフライトはとても楽しかった。機体まで移動するバスに「把瑠都? 把瑠都だろ?」と聞きたくなるほど、元大関把瑠都に顔も背格好もそっくりの人がいた。あんな大きな人が隣だったらプロペラ機の狭い座席で厳しいなーと思った。すると、隣は把瑠都だったのだ。なんか、運が良いのか、悪いのか良く分からない。把瑠都は脚が長過ぎて前の座席に膝がぶつかるので、股を大きく開かないと座れない。上半身も座席からかなりはみ出していた。私も人のことは言えないくらいはみ出すのだが、把瑠都よりは小さい。窓側の席だったので、窓の方に体を傾けて斜めになって座っていた。実に腰に悪い。フライトが30分じゃなかったらぎっくり腰になっていたと思う。

そんなプロペラ機の乗り心地は意外と静かだった。隣が把瑠都じゃなかったら意外と快適だったかもしれない。いや、把瑠都は何も悪くないんだけど。フィンエアーの便名なのだが、運行はNORDIC REGIONAL AIRLINES、通称NoRRA。CAさんが黒の手袋をしていて、え?どうしたの?ってくらいスタイリッシュで驚いた。すっごい美人だったし。ところで、NoRRAの発音は「のrrrrっら」くらい巻き舌で発音する。あまりにも巻き舌なので面白かった。

同日
タリンに到着

タリン市内へトラムで移動し、ヴィル門から旧市街へ。石畳なのでスーツケースを引いて歩くのはなかなか大変なのだが、予約していたホテルは門からも比較的近く助かった。14世紀に建てられたというそのホテルは実に複雑だった。階高が違う隣接した建物との増改築を繰り返した結果なのだと思うが、建物の中に3段くらいの階段があちこちにあって、殆ど迷路になっていた。ホテルのレストランは非常に美味しくて、きのこづくしのパスタは毎日でも良いくらい美味かった。

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部屋で荷を解いてベッドでしばらく横になってから晩御飯を食べに出かけた。夜9時ですこーんと青空。まるで時間の感覚が狂ってしまう。ヴィル門近くで晩御飯を食べるレストランを物色している時、気が付くと虹が出ていた。

ヴィル門の向こうに虹が出ていた。
四角いビルはソコス・ホテル。24階にKGB博物館がある。
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タリンに歓迎されているような気になってニヤニヤしてしまった。
この後のひと雨で気温が下がり過ごしやすくなった。

エストニア、フィンランド旅行記 その1

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2019年6月8日(土) タリン到着日

タリンに着いた晩、これで夜の9時前。

乗り継いだヘルシンキも30℃超えのクソ暑さで、タリンもやはり暑かった。着陸した時には止んでいたが、直前まで少し雨が降っていたらしい。晴れ間に虹が出た後、ザーッと一雨降った。雨が上がると首筋にひんやりとした風が吹き降ろしてきた。雨は冷たい空気を運んできたらしい。


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翌日からはこの天気。

空が碧い。

なんだこの御伽噺感は。

何も修正するモノがない中世感。

ショーン・ビーンが馬で登場してもおかしくない。

 

エストニア紀行: 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

hobbitonさんに勧められた「エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦」を読了。楽しくてあっという間に読んでしまった。旅の共にしようと思って文庫本にしたのだが、もう読んでしまったよ。持って行くけど。

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面白い本は早く先が読みたくて頁を捲るのが早くなっていくのだが、この本は正にそんな本だった。梨木香歩さんの本は一冊も読んだことがなかったのだが、この人の書く文章は私にはとても読みやすく頭にすっと入ってくる。苦手な人の言葉だとまるで頭に入っていかない。苦手な文章は脳が入力拒否する仕組みになっているらしい。

東京砂漠の通勤電車の中はまさに人間観察として絶好の場所である。痩せこけて鶏ガラみたいな肩をした若い男性が口を大きく開けて、座席の端に座って、というかずり落ちそうになって爆睡しているのを見ると、この人は一体どういう暮らしをしているのかと想像してしまう。つい、顔を見ただけでその人の背景を想像してしまう。名前はなんだろうと予想したくなる。

そんな事が好きな私には梨木さんの紀行文はうってつけだった。ホテルの部屋に飾られた絵の女性に名前を付けたり、あー、私もそういうの勝手にするなー。近所の猫とか犬とか勝手に名前を付けるし。人の場合は名前というより渾名に近い小意地の悪いのもある。

エストニアに興味を持ったのは多分、中学生の頃だ。社会科の参考書だった世界地図を見るのが好きだった。特にヨーロッパ大陸の地図が好きだった。アンドラルクセンブルクリヒテンシュタインなど、まるで知らない小さな国があるのを見て想像を巡らせていた。旧ソ連の構成国はグルジア(今はジョージアと呼ぶことになった。グルジア出身のスターリンがこれを知ったらなんと言うのか?)、アゼルバイジャンなど、聞き慣れない国の名前に興味津々だった。バルト三国という言葉を知ったのもその頃だ。バルト海の海水が塩っぱくないなんて、この本を読まなかったら知る事はなかったと思う。

以来40年近く経って遂にバルト海を目指す事になった。
40年か。
果てしなく遠い道のり。